無言の圧力や常識に服従しない「周りを気にしない生き方」

「空気を読む」ことが当たり前の日本では、周りのことを気にしないことはほとんど罪悪ですらあります。

だけど、もし、この周囲からの無言の圧力やしがらみから解放されたら、どんなに楽でしょうか。

それに実は、あなたが他人の気持ちではなく自分の気持ちを優先するようになると、周囲の人も幸せになれるとしたら?

あなたは自分の気持ちに正直に生きることに、罪悪感を持たなくて良いのです。

目に見えない常識や他人の思惑「従わなければいけない」というのは思い込みにすぎない

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日本は「ハイコンテクスト」な文化だと言われています。

ハイコンテクストとは直接的な表現よりも間接的な表現を好むこと。

はっきりと意思を伝えるよりも、文脈や行間に気持ちを込めて、それを読み取ってもらうことを好みます。

つまり「言わなくても察すること」は、日本では常識なのです。

確かに私たちの生活を振り返ってみると、「察した通りに振舞うこと」「空気を読めること」はとても高く評価されています。

会社でも「指示以上のこと」を求められて、「プラスアルファ」が無ければ無能扱い。

「母親」や「父親」にも無言で求められる役割像があって・・

色んな場面で、四方八方を読み取りながら生きなければいけないので、私たちは本当に疲れてしまいます。

「こんなの止めたい」

でも「従わなければいけないような気がする」

というプレッシャーに縛られて、どうにもならないような気がします。

でも本当は、そんなことないのです。

「空気を読むべき」「期待に沿うべき」というのは、全部思い込みです。

それが「当たり前だから」という理由で、小さいころからその常識にただ従ってきたに過ぎません。

常識や期待に従うのを止めてみると、本当は私たちの世界が自由で身軽なことに気が付きます。

離婚、失業・・意図せずして「自由に」なった私が気づいたこと

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私自身、これまでの人生の大半を「こうあるべき」と与えられた(ように感じていた)期待に応えて生きてきました。

勉強して、出来るだけ良い大学に入って、安定した会社に入って・・

結婚したら子供を産んで、仕事も家事もがんばって。

学校でも親にとっても、会社でも「絵に描いたような良い子」です。

そうでなければ、自分も不幸になるし、親や周囲の人たちもがっかりすると思っていたんですね。

でも離婚して、親の期待を裏切りると同時に「母親として、妻として」も失敗。

子どもが不登園になって、「会社に貢献する社員として」も機能しなくなります。

このように意図せずして、周囲や社会の期待から外れる人生を生きることになってしまい・・

始めは不安しかありません。

誰にも期待されない自分は「価値の無い人間だ」と思ったことも何度もあるのです。

でも少しづつ、誰かの影響を受けない自分の意思や感情に向き合えるようになり、それらに従った人生を受け入れられるようになり。

いま思うことは、

初めから自分の気持ちに従って生きていたら、もっともっと前から幸せに生きられた

だろうということ。

周りの期待やプレッシャーばかり気にして自分の気持ちを無視することは、自分に対する冒涜だと気付いたのです。

みんな縛られる人生に嫌気がさしている。一歩踏み出すのはあなたです

みんなが互いに気を遣いあっている中、「自分だけ自由に振舞うこと」に罪悪感を感じてしまうかもしれません。

「周囲を気にせず生きること」は「孤独になること」と思っていて、それで足を踏み出せない方もいるかもしれません。

でも実は、あなたが「何にも縛られずに生きること」は、あなただけでなくあなたの周りのみんなを自由にすることにつながります。

あなたが自由に生きることは、周囲の人たちへ「周りを気にしなくていい」と自由な生き方を許可することになります。

無言で暗黙のルールに従っているような人間関係も、誰かがその均衡を破ることを、みんな待っているのです。

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