癒えない離婚の傷。背負ったまま、動けば動くほど傷は深く広がり・・
離婚で負った心の傷や、その後の辛い現実。
「一刻も早く平穏な人生に戻りたい」
と願ってしまいます。
でもそんな時ほど立ち止まり、自分の心を見つめなおす時です。
動けば動くほど、傷が深く、広がってしまうということがあります。
「家を買おうか」と血迷った、さまようシングルマザーだった私
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離婚して一年ほどたったころ、まだ私は痛手の中にいました。
というより、ようやく現実を見ることが出来るようになり、「心に深く傷を負った自分」に気付いたと言えるのかもしれません。
望んで離婚して、苦しい結婚生活から解放されたはずなのに・・
自分が幸せだと思えず、周りと比べて自分は劣った人間であるようにしか思えませんでした。
その時同世代の友人たちは、子供を産んだり家を建てたり。
家庭的な幸せを築き上げている人たちを見ると、それが手に入らない自分に苛立ち、「何としても手に入れたい」と執着するようになりました。
そんな中で思い立ったのは、「家を買うこと」です。
「新しい家」は順調な人生の象徴であり、また幸せな家庭の象徴でもあるように感じました。
その象徴である「家」を手に入れれば、私も望んでいる幸せを手に出来るんじゃないか。
そんな妄想が、頭から離れなくなったのです。
今思えばなんてバカげていて、短絡的な行動なんでしょうか。
でも瀕死で、だけどどうしても死にたくない必死の状態なら、どんなバカげたことだと思っても手を出してしまうことは、あるのではないでしょうか。
最悪なのは、それがバカげているどころか、全くの逆効果であることに自分で気付けないことです。
再び歩き出すためには、幸せを外に求めるより「自分の内側に築く」ということ
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幸い、というかなんというか、しばらく物件を探すうちに私の関心は「家を買うこと」よりも「再婚」に変わっていきました。
誰かに幸せにしてもらうことを、やはりあきらめきれなかったからです。
そして今度は
「まだ子供が産めるうちに、子供のことも可愛がってくれて、誰もが羨んでくれるような再婚相手」
を探すことに執着し始めます。
でもそんな都合の良い相手は、結局見つかりません。
私は「幸せになること」自体をあきらめなきゃいけないのだろうか?
何度も何度も絶望しました。
・・そんな当時の私に、今の私が言いたいのはただ一つ。
「幸せが外の環境によって決まるというのは、思い込みだ」
ということです。
「誰か」や「何か」にもらえる幸せには、限界があります。
簡単に奪われてしまうし、簡単に色あせてもしまいます。
だけど自分の心の中に幸せが築けたのなら、どんな変化が訪れても、何が起こっても大丈夫なのです。
私があの時、家を買っていたら?
再婚していたら?
望んだとおりに幸せになれたでしょうか?
例え望んだものを手に入れていたとしても、心が不安定な自分のままだったら、その時感じた幸福感は一瞬で過ぎ去って、また新たな問題を抱えてしまいます。
外から訪れた幸福を大切に育てていけるのも、自分の心が幸福だからこそなのです。
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タグ:元夫との関係