毒母の娘のわたしも、「毒母予備軍」という自覚
子供の人生を支配して苦しみを与える母親を「毒母」といいます。
この定義に従えば、私自身が毒母に苦しめられていたのですが、その支配を脱した今は
「私が娘の毒母になってしまうかもしれない」
という危機感があります。
毒母育ちの娘の私が、恐れること
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子供の人生を支配する母親を「毒母」と言います。
「子供の人生を支配」というと大げさに聞こえてしまいますが、些細なことで子供はお母さんの言いなりになってしまうもの。
お母さんの不機嫌な顔
お母さんからの理不尽な叱責
言うことを聞く時だけ、怒らない・イライラしないでいてくれる
母親が自分の感情をコントロールしようとせず、むき出しにして子供と接していれば、子供は簡単にお母さんの顔色を見るようになるのです。
その積み重ねが、「人生の支配」へつながっていきます。
さて私も、実母からの上記のような態度に長年支配され、ようやくそこから脱しつつあるのですが、ある時気付いて動揺したことがあります。
それは、「毒母に苦しめられた私自身が、娘の毒母になりつつある」ということです。
娘に対して平気で見せる不機嫌な顔
理不尽に娘に課す私のルール
娘が言うことを聞かない時の苛立った態度
あんなにされて嫌だったことを、娘に対して無自覚にしていた自分がいました。
私は「毒母予備軍」と自覚して、娘を守りたい
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人の顔色をみることに慣れてしまっていた私は、長年
「こうなくてはならない。」
「こうすべき。」
に縛られて生きてきました。
また、他人へも「こうあるべき」を押し付ける傾向がありました。
でもそれを自覚し生き方が変わり始めた今では、自分や他人に対しては自由に生きられるようになったのです。
でもなぜか子供に対してだけは。
なぜか未熟な自分が出てきてしまいます。
自分のいう通りにさせたい。
完璧でいてほしい。
問題を起こさないでほしい。
その欲求がコントロール出来ずに、娘を支配しようとしてしまうのです。
毒母の娘として育ち、自分の価値観を取り戻した私にとって、私のこれからの闘いは「娘の毒母にならないようにすること」です。
そのために私が今していることは、「娘を監視しない」こと。
無意識でいると、いつでも娘の行動をジャッジしようとする自分がいます。
娘を監視せず、「娘を監視しようとする私を監視」することで、娘との距離を適切に保とうとしています。
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タグ:両親との関係, 素直に育つ子どものしつけ方。