ベッキーいいの?「不倫の中で最もしてはいけない不倫」公言
このブログでも何度か取り上げたベッキーさんの騒動。
真実やベッキーさんの真意が分からなかったので、あくまでも当方の憶測に過ぎません。
しかしここへきてベッキーさんが週刊文春に宛てたという手紙。
この内容を見ると、ベッキーさんの恋は「ただの軽はずみだった」ということで終わっています。
それなら彼女の行為は「不倫の中でも最もしてはいけない不倫」だったと公言しているようなもの。
それでいいのでしょうか、ベッキーさん。
最もしてはいけない不倫。それは「覚悟無く家庭を壊そうとする不倫」
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そもそも不倫自体がいけないもの。
でも当事者の背景をみると、長年の家庭不和やDVなど情状酌量や同情の余地がある場合もあります。
私は不倫が多くの人を傷つける行為であるからこそ、せめて「やむにやまれないもの、覚悟のうえ」であって欲しいと思うのです。
ベッキーさんも、お相手の奥さんを傷つけただけでなくベッキーさんのご家族や友達、仕事の関係者やファン方々へも大きな影響を与えたはず。
だからこそベッキーさんが覚悟の上であって欲しかった。
しかしベッキーさんのお手紙には、「相手への気持ちはもうない」「奥さんの気持ちを報道で初めて知って整理がついた」とあります。
たった数か月の恋愛。
そして「気持ちはもうない」「奥さんの気持ちを知らなかった」。
自分のした過ちをこのように「浅はかさ」を原因にしてしまうと、周囲も「しょうがない」と言わざるを得なくなります。
でもそれは、「浅はかな人だからしょうがない」という意味。
人としての信頼をもう一度取り戻すチャンスを得られた訳では無いのです。
「ベッキーさん、それでいいの?」とはこの点について。
もう一度失った信頼を取り戻したいのなら、ここで失敗を振り返ることを止めてしまっていいのでしょうか。
もう一度信頼されたいのなら「未熟だったから」の一歩先を深掘りする
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結婚、離婚、転職、起業・・
人生の転機となる行動には失敗がつきものです。
周囲の反対を押し切って前に進んだのに、自分が思っていたような結果が出ないことは多々あります。
例えば「絶対この人がいい!」と周囲の反対を押し切って結婚したのに、上手くいかずに離婚してしまうとか。
人間だから失敗してしまうのはしょうがないこと。
だけどその失敗の原因を「こんな人だと思わなかった」「だまされた」のように自分が未熟だったことのせいにして終わらせてしまうと、また同じ過ちを繰り返してしまいます。
そして周囲からは「信頼できない人」のレッテルも貼られてしまいます。
「こんな人だと思わなかった」「だまされた」この一歩先には、自分をそうさせてしまった原因が「自分の中に」必ずあるものです。
「自分が絶対正しい」という傲慢さがあった
「今の辛さを誰かに救ってほしい」という依存心があった
「未熟だったから」の一歩先の「なぜ」をしてその原因を見つけることで、初めて失敗を活かすことが出来ます。
また「未熟だったから」で終わらせず真因を追及しようとする気持ちを持って初めて、「覚悟をもった」と言えるのです。
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タグ:不倫