不幸が続くのは、私がそれを喜んでいるから?不幸に依存している自分に気付くとき
不幸が続くのは、不運のせいだと思っていました。
でもそれだけじゃない。
私は、自分の都合の良いように不幸を利用するために、不幸を自ら起こしていた気がします。
「不幸」が与えてくれる蜜を吸いながら、不幸な境遇を嘆いていたのです。
そんな私だったから、私の人生から不幸が立ち去らないのは、ごく当たり前ことでした。
私の人生には「不幸」が必要だった
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誰かに褒めてもらいたい時。
自分に注目してもらいたい時。
頑張れない自分を許してほしい時。
頑張らない言い訳が欲しい時。
そんな時、「不幸」は私の味方でした。
どんなに大変な境遇かを話せば、同情がもらえて「こんな自分」でも許してもらえる。
少し頑張っただけでも、「こんなに大変な私」だったらみんながすごく褒めてくれる。
離婚や、失業や、病気など・・
私に不幸をもたらす出来事自体は嫌なものだけど、不幸のおかげで私はずいぶんいい思いをさせてもらいました。
もし私の人生に不幸がなかったら?
そしたら人並みに、淡々と育児や仕事やその他もろもろをこなさなけれないけないのだから・・
何も立ち行かなくなっても言い訳が出来る「不幸」は、大変便利なものでした。
もう人生に不幸が要らないのなら、不幸を利用することも止めよう
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「不幸」のおかげで、さまざまな責任や義務や我慢から解放される。
だけど「不幸」のせいで、味わいたい幸せから遠ざけられるのも事実です。
だからもし今まであきらめてきた幸せを味わいたいのなら、
不幸によって手にしてきたメリットをあきらめる
ことが必要です。
もう、何も不幸を言い訳にしない。
不幸を頼らない。
そうして不幸に依存する心を奮い立たせていくことで、「不幸の連鎖」を断ち切ることが出来るようになります。
少なくとも私は、そうでした。
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