幸せな人が妬ましいのは、「自分が誰より幸せになるべき」と思っているからです

私が、他人の幸せをいつも妬ましく感じてしまっていたのは、

私のほうがその人よりも幸せになるべき

と思っていたからでした。

そしてそう思っていたのは、兄弟よりも、友達よりも、元夫よりも、

誰よりも自分が一番であるべき

という傲慢な心が大きかったから。

そんな私には、当然のことながら「誰より幸せになる資格」なんて無かったのです。

兄弟の、友達の、元夫の幸せが妬ましかった

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幸せな結婚生活を送り、家も建てて順風満帆な兄弟。

素敵な旦那さんと結婚して、仕事も順調な友達。

離婚して夢だった海外赴任も決まり、活躍する元夫。

みんなが羨ましくて妬ましくて、許せませんでした。

幸せな結婚生活も、家も、仕事での成功も、全部私が欲しかったもの。

それなのに私は、全部理不尽に奪われてしまったかのよう。

私は悪くないのに!

私の方ががんばってるのに!

「なんであいつらばっかり!」

そんな私の被害者意識から見えてくるものは、人を見下し、「自分さえよければいい」という傲慢な私の心です。

みんなの日々の努力も分からぬまま、ただただ自分ではなく他人に幸運が与えられたのが許せない。

今だから過去の自分に言えますが

「そんなあなただから、幸せになる資格なんてないんだよ」

それに、こんなに自分本位で、他人と比べてばかりいる人間には、そもそも幸せが与えられたところで気付かないんです。

「与えられて当然」と思っていた自分に気付くことが「幸せ」

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幸せな結婚や、仕事での成功や、素敵な家やファッションや、賢い子供や新車など・・

いまの時代の日本で、何の不足もない生活を送ってきた私は、これらものが当然のごとく与えられると信じていました。

もっともっと与えられて、もっともっと幸せになれると。

でも上に書いたものは、当たり前ですがみんなが手に入れられるわけではありません。

望んだものが必ず手に入るわけではないのです。

・・そんな当たり前のことに、なかなか気付くことが出来なかった自分。

でもそんな傲慢だった自分に気付けるだけで、世界の見方は変わります。

こんな自分に、それでも与えられていたもの。

「与えられて当然」から脱却すると、私たちの周囲には与えられたものばかりだったことに気付かされます。

そしてそれに気付けることこそが、幸せなんではないでしょうか。

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