「これだけ辛い目にあったんだから償われるべき」という考えが幸せを遠ざけていた
私が幸せになるのを阻んでいたのはどんな出来事でもなく、私自身がこだわっていた考え方
「これだけの辛い・不幸な体験をしたんだから、それ相応の埋め合わせをもらうべきだ。
いや、もらわなければならない。」
というものでした。
だから自分が納得の出来る償いを受け取るまで、不幸は続いていったのです。
「辛い目にあった分だけの幸せ」をもらわないと自分を許せない
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私が離婚してから数年間辛い時期が続いていた時、「どうしたら幸せになれるんだろう」ということばかり考えていました。
何をしたら幸せになれるんだろう
何が起こったら幸せになれるんだろう
何を手に入れたら幸せになれるんだろう
ところが辛い時期が過ぎて穏やかに暮らしている今、振り返って分かるのは、私の心に根強くあったこだわりのせいで「自分自身が幸せになるのを許していなかった」ということでした。
そのこだわりとは
辛い経験をした私は、償われ、優しくされ、労わられないといけない
私が体験した辛さ・苦しさ・惨めさを上回るだけの幸せが与えられなければいけない
というもの。
このこだわりは、「私に被害を与えた」と私が思い込んでいた元夫や元夫の家族や自分の両親へ向けられただけでなく、いるとすれば神様などの目に見えないものにまで向けられていました。
でも当然、私が望むものが貰える時と、貰えない時がある。
私はそんな中途半端な状態で幸せになることを、自分自身に許せなかったのです。
望んだ償いをあきらめて幸せになるためには
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結局私は自分のこんなこだわりに気付かないまま、幸せになるために足掻くのをやめてようやく幸せに気付くことが出来ました。
でももしも当時、「償いを求めても意味が無いんだ」と知っていたら?
それでも結局、足掻いて足掻いて苦しまなければ、心から諦めることは出来なかったでしょう。
だからもし、誰かを許せなかったり、自分の今に納得がいかず不満が消えないとしたら・・
一度、もがいてもがいてもがき苦しみ抜くことです。
あなたが望む、埋め合わせや見返りや償いや思いがけない幸運・・を手に入れるために。
それが手に入れられる時もあるかもしれないし。
でも手に入れられなくても、「こんなことを求めても幸せにはなれない」という意識を持ち続ければ、いつかそこから抜け出す時が来ます。
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