「ダメな母親の私」を受け入れると溢れ出るもの。「私ひとりで立派に」の呪縛から解き放たれる
1人で頑張るシングルマザーほど「立派なシングルマザー」だと思い込んでいました。
親や元旦那を頼って甘えるような母親なんて、ダメだ!と。
だけど、本当にそうなのかな?
何でも自分でやりきることが正しい。
他人に甘えない人がエライ人。
って、思い込みかもしれない。
というよりそれは、「呪縛」。
その「思い込み=呪縛」を捨てなければ、見ることが出来ない「幸せ」があるのです。
立派なシングルマザーを目指すと、見落としてしまうもの
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娘が七歳の七五三のこと。
娘を連れて恒例の写真撮影へ行きました(スタジオ〇リス)。
記念の撮影はこれで三回目。
前の二回は、お宮参りと三歳の七五三の時になるので、だいたい三年おきということになるでしょうか?
その時に気付いたのです。
撮影で行ったお店、三回ともバラバラだ・・ということに。
理由は、離婚したり失業して実家に帰ったりして、住む場所を転々としたから。
これだけで「ほんとに私って、ダメな母親だ・・」と思いました。
住む場所をころころ変えるのも、子供に迷惑をかけている。
子供を不安定にさせている。
そもそも離婚するのも、立派な母親でない証拠みたいな気がするし
失業して親に泣きついたのも、自立していない。最低だ
「ダメな母親」である自分を否定していた私は、こんな些細なことで傷ついてしまうくらい脆い人間でした。
☆☆☆
でもこの状況で、私が
「自分は一人では何も出来ない母親だ」
と受け入れることが出来ていたら、私の気持ちは全く違うことを感じていたと思うのです。
それは
「私は不完全な母親だ・・それなのに、ここまで娘は元気に育ってくれた」という娘への感謝
あるいは
「両親や、友達や、彼が支えてくれたから、今の私たちがいる」という周囲の人たちへの感謝
「自分は立派でなければいけない」と思っていた時には、どんな状況も「自分・自分」。
ここまで生かされてきた感謝なんて、みじんも生じない。
それなのに、
「ダメな自分」を受け入れると溢れるものは「自分以外の存在への感謝」
そして、それに恵まれているという「幸せ」なのです。
「自分ひとりで立派に」は、素晴らしいんじゃなくて呪いだ
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シングルマザーの「子供は自分ひとりで立派に育てる」という意気込みは、とても素晴らしいもののように聞こえます。
だけど、その「ひとりで」という決意は、何のためなのでしょうか?
「ひとりで」子育てすることは、本当に子供のためになるの?
「ひとりで」頑張ることは、本当に子供の幸せに繋がるの?
「ひとりで頑張る」を教えられて、子供は成長して幸せな大人になれるの?
本当は、「ひとりで」と言い張るとき、それは子供のためでなくて
シングルマザーにされてしまった自分
旦那に捨てられた自分
苦労を背負い込まされた自分
「被害者である自分」を強調するために言っているのだと思う。
「こんなに私は頑張ってるんだ」
「人よりも頑張ってるんだ」
「なのにどうしてこんなに、可哀そうなんだ」
って、周囲に呪いをまき散らしている。
そんな呪縛は終わらせて、「みんなに助けてもらう自分」になって、たくさんの愛と感謝を感じながら過ごせる自分になった方がいい。
そうすることで、被害者の自分も終わらせることが出来るのだから。
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