離婚した元夫や元姑、または難しい生育環境だった場合は実母や父などへ、
「酷い目に遭わされた」
「仕返ししたい」
「思い知らせたい」
という恨みの気持ちを持ってしまうことがあります。
酷いことをした相手なんだから、恨んで当然かもしれません。
でも、恨む気持ちの辿りつく場所は、相手では無くて自分だと思うのです。
「仕返ししたい!」「謝れ!」と思っているうちは、辛い人生が続いてしまう
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「倍返しだ!」というセリフが流行したドラマがありました。
現実でも「酷いことをした相手が幸せになるなんて、許せない!」という気持ちが生まれるのは、誰にでもあることですよね。
私も、元夫が仕事で成功していくのを「なんであいつが!」と思ったこともあるし、実母に対して「私の辛かった気持ちをせめて判ってほしい」と思っていました。
「仕返ししたい」
「思い知らせたい」
「幸せになるなんて許せない」
またはそこまでの攻撃性はなくても、
「気持ちを判って欲しい」
「謝ってほしい」
そんな気持ちもまた、相手の行動を恨む気持ちの1つです。
そしてこんな気持ちがあるうちは、絶対にその辛い出来事から逃れられないと思うのです。
だって、そこから逃れて幸せになってしまったら、絶対に謝ってもらえないし、思い知らせることも出来ません。
仕返しをするためには、不幸でい続けなければならないのです。
相手を不幸にするための恨みが、自分を不幸にしてしまうのです。
幸せになるために、まず恨みを晴らすことをあきらめる
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幸せな出来事があれば、恨みを忘れられると思うかもしれません。
確かに、そんな出来事があればラッキーです。
だけど私はこれまで生きてきて、誰かのせいにして恨んでいるうちは、幸せな出来事に気付くことはありませんでした。
恨みで気持ちがいっぱいだからです。
少なくとも私が幸せになるためには、まず「恨むこと」を止める必要がありました。
それは「手放す」「許す」「受け入れる」というような高尚な行動ではなく、「あきらめ」のようなものであります。
謝ってくれなくても、相手が幸せでも、私がどんなに怒っても
「あの出来事は消せないし他人は変わらない」というあきらめ
悔しいかもしれませんが、これで辛い出来事にこだわることから、解放されます。
元夫も、元姑も、父母も、昔の辛い恋も、友達に傷つけられたことも、
思う存分辛さを味わったら、「仕返ししたいけど、あきらめるしかない!」とふっきってしまってください。
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気持ちが楽になりそうです。