「幸せになりたい」という強すぎる思いが、人生を誤らせていく

私が辛い時、その状況を長引かせたのが皮肉にも

「幸せになりたい」

という渇望でした。

願えば願うほど幸せが遠ざかるのは、幸せになるために取っているはずの行動が、今ある幸せをどこかへ遠ざけてしまっていたからなのでした。

幸せになるための行動を取っているはずなのに

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離婚して子供をひとりで育てるという現実が辛すぎるとき、

「幸せになりたい」

そればかりを願っていました。

幸せになって、

肩の荷を下ろしたい

誰かに頼りたい

みじめな気持ちから抜け出したい

みんなを見返したい

そのために、

「今変えなければいけないことはなんなのか」

「今変えたいことはなんなのか」

そればかりを考え、考え付くことは、なんだってやりました。

「ひとり親だから」ってバカにされないように、仕事をがむしゃらにしたり

出会いを求めてさまよったり

結婚してくれそうな男の人に媚びてみたり

家を買おうと考えてみたり。

でもどの行動も、私を楽にしてくれず、みじめな気持ちも消し去ってくれない。

それどころか、何かを手に入れるための無理、我慢、自分を偽っているという思い・・

「こんなに頑張ってるのに」という思いが人生をもっとみじめなものにしていく。

「幸せになるための行動」って、ゴールにたどりつくまではこんなものなんだろうか。

でも、ゴールにたどりつくまで無理して自分を鼓舞しなければならないとしたら・・

その結果得られる人生は本当に幸せなものなんでしょうか。

「変えなければいけないこと」を見つめることは、今の自分を貶めること

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いま辛く不満のある状況にあるとき、どうしても

「変えたいこと、変えなければいけないこと」

にばかり目が向いてしまいます。

夫がいないこと。

子供には父親がいないこと。

収入が足りないこと。

頼る人がいないこと。

でもそうすることで、

より一層、

「今の私には埋めるべき不足がある」

ということを、強く認識せざるを得ませんでした。

そしてそれを改善するためにどうしても行動を取りたくなり、ジタバタとあがいてもっと深くどん底へ沈んでいきました。

同時に、本当はすでに私自身のそばにあった、幸せや喜ぶべきものも、目に見えなくなり・・

きっと、辛い時ほど、その状況に置かれている自分を変えなくてもいいのです。

その時の自分を認め、どん底でもなお与えられているものに気付けるようになったとき、自ずと必要な変化は訪れます。

不安だから、怖いから、動きたい。

だけど辛い時ほど必要なのは、

「いまの自分」に踏みとどまる勇気と強さ

だと思うのです。

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