不幸の入り口は「刺激」を求める心?刺激中毒から脱して幸せになる
何も問題が無い、幸せな状態の時でも、なぜかネガティブなことを探している自分がいます。
幸せな時って暇だから、刺激が欲しくなるんです。
そうして「考えるべき問題」を探し出して、幸せから遠ざかっていくのかもしれません。
「幸せ」は刺激中毒者には退屈過ぎた
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かつては人生のどん底にいた私も、さまざまな問題を解消して幸せになった「つもり」でいました。
でもやはり、幸せというのは外的な条件で決まるのでは無いのですね。
それまで解決すべき・向き合うべき問題を抱えすぎていた私は、この
「何もない」
という状態に心が耐えられず、問題をまた探し始めました。
とはいえ今は大きな問題として扱える案件が無いので
ご近所さんとの付き合い
子供の生活態度
パートナーの態度
仕事の人間関係
などの中から、本当に些細な不満を探して、またグルグルと考え始めます。
そして「些細なこと」が自分にとって大きな問題に変わっていく。
しょせん、
問題中毒
刺激中毒
「もっともっと」と求める人
には、何が起きても起こらなくても、幸せになることは不可能なのです。
これは人生から困ったことが無くなって、初めて気づいたことでした。
「感謝を忘れない」というのは、ありきたりだけど幸せになるのに最も効果的な方法だった
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色々なことを乗り越えて分かったつもりになっていても、その状態になってみないと分からないことは山ほどあります。
「感謝を忘れない」
ということの大切さが身に染みたのは、刺激中毒の自分に気付いてからのことでした。
何もない平安な毎日に感謝を忘れると、
退屈、刺激が無い、何か問題は無いか・・
と粗探しが始まります。
それにストップをかけるのが「感謝」です。
この、当たり前すぎる、子供でも知っていそうなこと。
この基本的なことが今まで出来ていなかったから、幸せに気付くまでこんなに長い時間かかってしまいました。
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